火をもって答える神こそ神であるはずだ

神様が教えてくれたこと
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預言者エリヤが現れたのは、北イスラエル王国が最も暗いところを歩んでいるときでした。(列王記上17章~)

アハブ王が異邦人の女イザベルを王妃に迎えてからというもの、国はバアルとアシェラの像で満たされ、真の神である主に仕える預言者たちは殺されてしまいました。

主は罪に満ちた人間たちをただ傍観なさる方ではありません。預言者エリヤを遣わして、主への礼拝の回復をはかったのでした。

火をもって答える神こそ神であるはずだ

エリヤを通してなされた奇跡をいくつか見てみましょう。エリヤが祈ると主は天を閉ざして3年間雨を降らさず、もう一度祈ると天が開かれて雨が降りました。

飢饉でどこにも食べ物がない中、エリヤは鳥によって養われ、やもめの家では壺の油と粉が尽きなくなって食べるに困ることはありませんでした。

やもめの家の息子が死んだとき、エリヤが祈ると息子の命が戻り、生き返りました。

つまり、主は天を開くことも閉ざすことも、食べ物を奪うことも供給し続けることも、命を奪うことももう一度与えることも、自由自在におできになるということです。

主は御自身を愛して信頼するものに、必要なものをすべて供給してくださいます。だから、私たちは何も心配しなくてよいのです。ただただ主を信頼すれば良いのです。

エリヤはアハブ王の前に現れて、バアルの預言者450人とアシェラの預言者400人を集めさせ、1:850の戦いを申し込みました。

「わたしはただ一人、主の預言者として残った。バアルの預言者は四百五十人もいる。我々に二頭の雄牛を用意してもらいたい。彼らに一頭の雄牛を選ばせて、裂いて薪の上に載せ、火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の雄牛を同じようにして、薪の上に載せ、火をつけずにおく。そこであなたたちの神の名を呼び、わたしは主の御名を呼ぶことにしよう。火をもって答える神こそ神であるはずだ。」(列王記上18:22-24)

バアルの預言者は大声で叫んで祈りました。しかし、声もなく、何の答えもありませんでした。
終いには血まみれになるまで自分の体を剣や槍で傷つけましたが、痛いだけで何も起こりませんでした。

命のない宗教は何とむなしいものでしょう。
何の答えも啓示もありません。自分の力であがいて疲れて自滅するだけです。

罪人の血には呪い以外の力はありません。あなたが犠牲を払って血を流して死んでも、何の力もないし誰の救いもありません。礼拝に必要なのは罪人の血ではなく、神の子の血なのです。

エリヤは主の祭壇を修復しました。そしてささげものにする雄牛にたくさんの水を注ぎました。

そしてエリヤが祈ると、ただちに天から火が降って雄牛を焼き尽くしました。
主への霊と真理をもった礼拝に対して、主は火をもって答えてくださるのです。
これは冷たい宗教どころではありません。

雄牛よりもはるかにまさる生け贄は私たちの砕かれた心であり、主を愛する心です。それはどんな焼き尽くす捧げ物にもまさります。

主は私たちの心に天からの聖霊様の火をもって答えてくださるのです。

あなたの心は燃えているか。主の愛によって燃やされているだろうか。今このとき、くすぶっている場合ではありません。あなたの心を祭壇にささげて、主に火をもって答えていただこうではありませんか。

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