イスラエルには王がなく、自分の目に正しいとすることを行っていた

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士師記に繰り返し出てくるフレーズは、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」です。

これが何度も何度も繰り返されます(^ω^;)

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イスラエルには王がなく、自分の目に正しいとすることを行っていた

このころの人々の思考を見ると、滅茶苦茶であることがわかります。

偶像崇拝、盗み、姦淫、魔術、猟奇的な殺人が当たり前に行われていました。
しかもそれを悪いと少しも考えず、良心がマヒしているようでした(´×ω×`)自己中心の行きつく先はこんなところです。

では、王を立てることが神様の御心だったのか?
そうではない!

サムエルのとき、人々が王を求めたことを神様は良からぬことと見なしました。
多くの悪い王によって国が偶像だらけになり、戦いの血が数多と流され、搾取によって民の生活は苦しくなりました。

では、何が神様の御心だったのか?????

イスラエルに王がいなかったことは確かに問題でした。人々は自分勝手にふるまいました。
王を立てたことも問題でした。悪い王が立てられて神様に背き、人々を苦しめました。

問題は王政をしくべきかどうかという政治の話ではありません。
人々が王の王である主なる神様を王として従っていなかったことが最大の問題でした。

あなたの王は誰でしょうか。
あなたに王がいないならば、あなたは自分勝手にふるまい、自らを滅ぼすでしょう。
人間があなたの王ならば、彼があなたを苦しめて滅ぼすでしょう。

あなたはどうしてもイエス・キリストを王として、自分の人生を罪と狂気から救っていただき、愛と平和のうち治めていただく必要があります。

あなたは恵みの御座に大胆に進み出たことがあるでしょうか。
あなたはその方の御声を聞き、御言葉に耳を傾けたことがあるでしょうか。
もしもないならば、是非してください。いましてください\(^o^)/

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