反対を受けるしるし

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赤子のイエス様が聖別の儀式を受けるために神殿に連れてこられていたとき、シメオンはイエス様のことを預言して「反対を受けるしるし」と言いました。

その預言通り、イエス様が洗礼を受けてメシアとして活動し始めてからというもの、多くの人からことあるごとに反対を受けました。

しかも、反対をしたのは宗教的に熱心な人たちでした。

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反対を受けるしるし

ファリサイ派の人々と律法の教師たちは、わざわざ「ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから」イエス様の下に来ました。

自分たちの務めをそっちのけでイエス様の下に来たのは、イエス様から教えを乞うたり、癒していただいたりするためではありませんでした。

人気絶頂のイエス様を危険視して監視するため、そして少しでも自分たちの意に沿わない場合は何とかしてその働きを邪魔するためでした。
主が「わたしと共に蒔かない者は枯らしている」と言われた通りです。

宗教的に熱心になると、高慢の罪がつきまといます。
「私はこの教義に熱心に従っているから神に認められている。神が事を行うならまず私を通してであろう。神がこの私の知らないところで働かれるのはありえないし、私の信奉する教えから少しでもはずれるものは悪であり、反対しなければならない。」

これが宗教的な熱心さの極致であり、サタンが今でも教会を陥れる罠として大成功をおさめている方策です。
教会に大ダメージを与えるのは外からの攻撃ではありません。多くの場合、教会は内部で裁きあって力を失ってしまうのです。

私たちは自分のグループ、自分の方法、自分の経験に沿わないものに、高慢にも反対したくなるものです。
しかし、もしそれが本質的な事柄ではないのなら、私たちは反対することに対して慎重でなければなりません。

イエス様は「反対を受けるしるし」でした。
私たちが他の人に反対するとき、知らず知らずのうちにイエス様に反対しているかもしれません。

「この最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしたことなのである。」(マタイ25:40)

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