忠実な管理人として神を待ち望む

神様が教えてくれたこと
スポンサーリンク

2016年が始まり、正月はあっという間に終わりました。

私はいろいろと充実した時間を過ごしていたので、神様からの2016年についてのメッセージをまとめる時間がありませんでした。

いま、正月の終わり、会社の始まりの前のこの時間に、それをまとめてみます。

何事にも時があります。世界を一瞬で造れたのに、一週間かけて造り、日や曜日や年を定められた神様にとっても、一年の区切りというのは意味のあることです。

神様が与えてくれたイメージは忠実な管理人です。
主人が来るのを待つ忠実な管理人は、怠けずに家のことをよく管理し、いつ主人が帰ってきても問題がないように万全の体制で待ちました。

イエス・キリストを待ち望むが私の人生です。待つことはあくびをしながら待ちぼうけをするのではなく、せっせと神様のために働くことを意味します。

せっせと働くことです。主の家の管理(教会の奉仕)をせっせとし、神様からまかされたいろいろなことをせっせとします。当然会社でもせっせと働きます。

主の家の管理という面で、2015年はずいぶんうまくできませんでした。基本的な信仰生活のいろはをせっせと行わなければなりません。

まるで何か呪いにかけられているかのように思うくらい、うまくいかなくなってしまったと思うことがありましたが、私が呪いにかけられるのは悪魔に対して『Yes』としたときだけであり、実際はそんなことは全然ないのです。

鎖につながれていると思い込んでいるだけ、本当はどこまでも自由であり、解放されていて、すばらしいのです。信仰によって感謝をすれば、そのとおりになります。

毒のある舌をふるう人は教会の内外にたくさんいますが、そんな人たちは心から追い出して、せっせとやることをやれば良い。

チャンスはすぐに与えられるとは限りません。
しかし、チャンスは求めれば必ず与えられます。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」と書いてあるように、求めるということもただ口を開いて食べ物が降ってくるのを待つことではありません。それは必死に探すことであり、扉をどんどんとたたいてノックすることです。
チャンスは探し続け、扉をノックし続けるならつかむことができます。

ここまでが神様から与えられたメッセージです。たぶん預言的な内容であり、インスピレーションです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました